昨夜、私の知人がFacebookで、「いいね!」をしていた。
どれどれ、と興味深く見ていたら
私はテレビをあまり見ないので、共感できた
~以下 本文~
庭でワインを飲んでいると妻がやってきて言った。
「Taka、LAは今もすごいことになっている。シティホールに州兵が来てライオットに備えている様子をニュースが伝えている。これからどうなっていくんだろう。大変だよ、もう嫌だね、こんなおかしなことばかりで。」
そこでこう言った。
「ねぇ、庭を見てごらんよ。今日は暑くもなく寒くもない、すごく氣持ちいい日だよ。鳥の声もよく聞こえる。空も綺麗だねぇ。
こうしているだけで、とても豊かだなぁって思わない。これがさぁ、現実だよ。テレビの中に僕たちの生活はないし、何も僕らに影響しない。
僕らに影響するのは、ここで感じる風だったり空氣、そして傍にいる子供達だよ。
僕達の現実は、今ここにある世界だ。いま体験しているこっちが僕達の生活であり人生だよ。
何にも不安を感じないだろう?今、ここで感じることが現実であり僕たちの世界なのだから。」
新型コロナのこともそうだけど、氣を向けるところを間違えてはいけないと思う。
実際に体験している人生や現実は、自分の身の回りの半径3mくらいの範囲で起こっていることだ。
テレビの箱の中にある映像が、自分の現実ではない。
自分が守るべき人、氣にかけるべき人は、テレビの中にはいない。自分の近くにいるものだ。
心を身体と同じ場所に置かずに、身体が所属していないテレビの箱の中に心を置くのはおかしなことだ。
実際、幸運と言われればそうかもしれないけれど、自分が体験している現実世界には、家族も友人も知人も仕事上の関係者も誰も新型コロナにかかっていない。
皆んな元氣に頑張っている人たちだ。クライアントも使命に向かって忙しくしている。
生活スタイルは、新型ウイルスに感染しないよう用心するものにはなっているけど、それは雨が降ったら傘をさすのと同じで、必要な適用をしただけに過ぎない。
不安や恐れはなく、心はいつもどおりの平常心。
冗談を言い、夢を語り、これから先のことにインスピレーションを感じて生きている。
そう、今、目の前で体験しているもの、それこそが自分の現実なのです。
実際に体験していることを無視して、頭の中にある映像を現実と捉えることは・・・おかしなことですよね。
くれぐれもテレビの箱の中に映る映像を自分の現実と誤解するなかれ!